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ヨーロピアン・クラシックの輪郭に、日本の節度を縫い込む。

構造に、色気を。

1963年、日本のメンズファッション界に、ヨーロッパ仕立ての色気を打ち出すブランドが誕生しました。
EDWARD'Sは、職人技を宿した構造と軽やかさ、節度を兼ね備え、着る人の余白を尊重する設計を今も追求しています。

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ヨーロピアン・スタイルの先駆者として

始まりは“違和感”だった

EDWARD’Sの始まりは、“違和感”でした。
1960年、あるテーラーと若きデザイナーは「アメリカの重厚さ」と「日本の礼節」の間に違和感を覚えました。
どこか借り物のようなスタイル──。

彼らはスーツの本質を問い直し、銀座に小さなアトリエを構えます。
構造美と軽やかさ・余白。
着る人を主役にする設計思想が、ここから芽吹きました。

1963年、“EDWARD’S”の名は表舞台へ。
若きコーディネーター・福澤幸雄と、イタリアの名匠アンジェロ・リトリコ。
彼らの存在を背景に、日本の街にヨーロッパの風が吹きはじめました。

日本におけるクラシックの原点

英国クラシックとの出会い、それは銀座から始まった。

「本物の英国生地と仕立て」を掲げ、EDWARD’Sは日本に本格的なクラシックを紹介。

銀座4丁目・三愛ドリームセンターにて、東レと提携した「東レメンズウェアコーナー」を開設。

時代を先取りする“洋装”文化の発信拠点となりました。

日本初の銀座ショーが大反響

街頭がランウェイに変わった日

福澤幸雄が取締役兼企画部長に就任。

「日本初」の試みとなる銀座街頭ファッションショーが大反響を呼んだ。

さらに、VAN JACKETとの合同展示会に、当時の若者たちは大熱狂した。

EDWARD’Sは、クラシックを装いの主役へと押し上げた。

世界に認められた説得力

国際評価の始まりと、ブランドの基盤確立。

自社ビル完成とともに、イタリア裁断士協会の最高責任者Franco Prinzivalli氏を迎え、技術指導を受ける。

名門誌「L’UOMO VOGUE」にも取り上げられ、日本のクラシックを体現するブランドとして国際的評価が高まる。

セレクトファブリック という概念

選ばれた生地だけが、エドワーズを名乗れる。

世界の名門ミル(織物工場)から厳選した素材のみを扱い、“生地を選ぶ力”がブランドの本質と認識され始める。

この頃から、「エドワーズ・セレクトファブリック」 という概念が根付いていく。

ダブルブレストスーツの躍進

流行に抗ったのではない。次を作ったのだ。

DCブランドが台頭し、流行が軽やかさを求めた時代。
EDWARD’Sは王道のダブルブレストスーツで逆風に立ち向かう。

結果、スーツ売場での販売実績が急伸し、業界全体の“クラシック回帰”を牽引。信念がマーケットを動かした象徴的な年である。

全国展開と信頼の証

「売れる」だけではなく、「信頼される」ブランドへ。

全国の百貨店へ出店を拡大し、売場に根を張る。

1997年には「百貨店バイヤーズ賞・ビジネス部門ベストセラー賞/カムバック賞」を同時受賞。

「確かな服は、黙っていても選ばれる」―そんな評価が確立されていた。

パーツではなくライフスタイル

紳士の一日は、スーツだけでは完結しない。

「本格派英国クラシック」の裾野を広げるべく、カジュアルラインやアクセサリーを導入。

装いを“パーツ”ではなく“ライフスタイル”として提案。

トータルで仕立てるEDWARD’Sの姿勢が、次世代紳士の定番となっていく。

本物を知る人へ、新たな一歩を

伝統に、革新を重ねる。

スタイリスト赤峰幸生氏との協業による「EDWARD'S Hof」ラインを発足。

阪急メンズ館などで展開され、より深化したクラシック像を提示。

同年、神戸ファッション美術館での「日本の男服展」に代表ブランドとして展示される。

歴史の証人から、次代の創造者へ

60年の節目に、ファッション史が応えた。

「ファッション イン ジャパン 1994–2020」展にEDWARD’Sが“日本のマイルストーンブランド”として選出。

単なる老舗ではない、“文化として認識されたスーツブランド”として名を刻む。

変わる時代で、変わらない価値がある。

いま、EDWARD’Sを着るという選択。

EDWARD’Sは60年を超えて、流行も、社会も、人の生き方も受け入れながら、ただ黙々と一着を積み重ねてきた。

歴史がある。
選ばれてきた理由がある。
着る人の物語がそこに重なっていく。

いま、手に取るその一着にも、同じ時間の重みが宿っている。

品格を、自分の物語に加えたいと思ったとき。
EDWARD’Sは、ここにある。

カリスマとして生き、思想を残した

福澤幸雄という男

フランス・パリに生まれ、福澤諭吉のひ孫。
若くしてレーサーやファッションモデルとして活躍し、マックスファクター、東レ、松下電器などの広告で時代の象徴となった。

一方、紳士服への造詣も深く、EDWARD’S創成期には取締役企画部長としてブランド設計に携わる。彼が語った「構造に色気を宿す」という言葉は、今もブランド哲学の核心として受け継がれている。

1971年、レーステスト走行中の事故で急逝。その早すぎる死は、服を超えて「美学そのもの」を遺した。

仕立ての裏側には、語るべき哲学がある

数字では測れない、無駄の中にこそ宿る精度

私たちが大切にしているのは、工程の“数”ではありません。ひとつの手間が見えない構造を形づくります。
──誰が着ても“自然”に見える型紙に表れています。

全国どの店舗でも、着心地や印象にブレが生じないのは、“人の技術”だけでなく“しくみの技術”を選び抜いてきたからです。
たとえば、シワを抑える裏地仕様や再設計された裁断パターンも、そのひとつ。

「品質は、手作業だけでは生まれない」──それが、いまのEDWARD’Sのクラフト観です。

哲学は、ディテールに宿る

EDWARD'Sの美意識を形作る3つの柱

美意識に根ざす「構造設計」

立体的なパターン、快適な可動域、身体に沿うバランス。構造そのものに宿る意図が、見た目の美しさと着用時の心地よさを同時に叶えます。

軽やかさと節度

派手さではなく、抑制された品格。その節度は、袖口や襟元、肩の傾斜といった細部にこそ現れます。控えめでありながら、確かな色気をにじませるバランス。

着る人の「余白」

体を主張させず、着る人の所作や空気までも映し出すような設計。無理をしない、気負わない、でも確実に“らしさ”が滲み出る。そんな余白のための服づくり。

製品の系譜

私たちの軌跡

EDWARD'S(エドワーズ)

現代のクラシックとして、最も正統に“色気”を形にする本流。節度、構造、余白。私たちの哲学の核がここに。

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EDWARD'S Hof(ホフ)

スタイリスト赤峰幸生氏を迎え、ブランド初期の思想を現代に再構築。一線を画す探究的ラインとして展開中。

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EDWARD'S Dagger(ダガー)

90年代、タフネスと曲線の融合を試みた実験的ライン。ミリタリーパターンと都会的輪郭が共存する設計。

LUI(ルイ)

イタリア軽量仕立てと日本式パターンの融合ライン。EDWARD’Sが色気を確立する前夜、静かに存在していた。

Lady Edward's(レディ エドワーズ)

紳士服(マニッシュ)の感覚、経験を駆使したレディス・トータル・ファッション。ユニセックス時代を作り出した婦人モード。

Edward's SPORTS(スポーツ カジュアル)

クラシックの知性と、スポーツの躍動。EDWARD’Sの哲学をルーツに、動きと美意識を両立したカジュアルライン。ただ「動ける」だけではなく、「魅せる」ことにこだわった設計思想。

EDWARD. VII(セブン)

ユニークな子供服。小さいながら自己主張する現代っ子の子供服がコンセプト。

BEAU GESTE(ボージェスト)

ファッション・コーディネーター福沢幸雄がプロデュースのアバント・メンズ・ファッション。ヤングマン向けのスーツやセーター、シャツなどを展開した。

多くの声が語る、仕立ての真価

選ばれ続ける理由がある

「どのようなシーンもこの一着を選べば間違いありません」

村田諒太 選手(元WBA世界ミドル級王者)

伝統を受け継ぎ、変わらぬ品質を

代表挨拶

EDWARD’S(エドワーズ)をご愛顧いただき、
誠にありがとうございます。

私たちは英国紳士服の伝統を受け継ぎ、
全国の百貨店にて長年にわたり磨き上げてきた
品質と信頼を大切にしてまいりました。

その精神は、店舗での接客や仕立てはもちろん、
あらゆる場面で変わることなく息づいております。

これからも、
お客様一人ひとりにふさわしい装いをお届けし、
日々の暮らしをより豊かに彩る存在でありたいと願っております。

今後とも変わらぬご愛顧を賜りますよう、
心よりお願い申し上げます。


株式会社EDWARD’S
代表取締役社長 貴志 亨

EDWARD’Sの世界へ、ようこそ。

一着に込められた、構造・節度・余白。
EDWARD’Sは、あなたの「らしさ」を引き立てる一着をお届けします。

全国の百貨店、またはオンラインストアにて、
ぜひ、その世界観をご体感ください。

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