始まりは“違和感”だった
日本における英国クラシックの先駆者
「アメリカの重厚さ」と「日本の礼節」—
その借り物のスタイルに疑問を抱いたテーラーと若きデザイナーがいた。
本場 英国の構造美、軽やかさ、色気を求めて銀座にアトリエを構えた。
日本に英国クラシックを持ち込んだEDWARD'Sの始まりである。

英国クラシックは、銀座から始まった
日本における英国クラシックの原点
「本物の英国生地と仕立て」を掲げ、EDWARD'Sは日本に本格的なクラシックを紹介。
銀座4丁目・三愛ドリームセンターにて、東レと提携した「東レメンズウェアコーナー」を開設。時代を先取りする"洋装"文化の発信拠点となった。

街頭をランウェイに変えた日
日本初の銀座ショーが大反響
福澤幸雄が、取締役兼企画部長に就任。
「日本初」の試みとなる銀座街頭ファッションショーが大反響。
さらにVAN JACKETとの合同展示会を行い、当時の若者たちは大熱狂した。EDWARD’Sは、クラシックを装いの主役へと押し上げた。

世界から認められた
本物が証明したブランドの力
自社ビル完成とともに、イタリア裁断士協会の最高責任者Franco Prinzivalli氏を迎えて技術指導を受ける。
名門誌「L'UOMO VOGUE」にも取り上げられ、日本のクラシックを体現するブランドとして国際的評価が高まる。

選ばれた生地だけがEDWARD'Sを名乗れる
セレクトファブリック という概念
世界の名門ミル(織物工場)から厳選した素材のみを扱い「生地を選ぶチカラ」がブランドの本質と認識され始める。
この頃からエドワーズ・セレクトファブリックという概念が根付いていく。

流行に抗うではなく、次を作った
ダブルブレストスーツの躍進
DCブランドが台頭し、流行が軽やかさを求めた時代。
逆風のなかEDWARD'Sは王道のダブルブレストスーツで立ち向かう。
結果、スーツ売場での販売実績が急伸し、業界全体の“クラシック回帰”を牽引。信念がマーケットを動かした象徴的な年である。

売れ続けた先に、信頼があった
全国展開と信頼の証
全国の百貨店へ出店を拡大し売場に根を張る。
1997年には「百貨店バイヤーズ賞・ビジネス部門ベストセラー賞/カムバック賞」を同時受賞。「確かな服は黙っていても選ばれる」―そんな評価が確立されていた。

紳士の一日はスーツだけでは完結しない
パーツではなくライフスタイル
本格派英国クラシックの裾野を広げるべく、カジュアルラインやアクセサリーを導入。装いをパーツ”ではなく「ライフスタイル」として提案。トータルで仕立てるEDWARD’Sの姿勢が、次世代紳士の定番となっていく。

伝統に革新を重ねる
本物を知る人へ新たな一歩を
スタイリスト赤峰幸生氏との協業「EDWARD'S Hof」ラインを発足。阪急メンズ館などで展開され、より深化したクラシック像を提示。
同年、神戸ファッション美術館での「日本の男服展」に代表ブランドとして展示される。

60年、日本のファッション史になった
歴史の証人から次代の創造者へ
「ファッション イン ジャパン 1994–2020」展に、日本のマイルストーンブランドとして選出される。
単なる老舗ではなく「文化として認識されたスーツブランド」として名を刻む。

いまEDWARD'Sを着るという選択
変わる時代で、変わらない価値。
時代は流れ、流行も生き方も移り変わった。
それでも60年を超えて選ばれ続けてきたのは、一着が誰かの人生の一ページとなり、その人自身の歴史に刻まれてきたから。
その積み重ねが次世代へと引き継がれていく。
いま手に取るその一着にも、そのすべてが宿っている。
品格を、自身の物語に刻みたいと思ったとき
― EDWARD'Sは今もここにある。

福澤幸雄という男
カリスマとして生き思想を残した
パリ生まれ、福澤諭吉の曾孫。
レーサー、モデル、そして企画部長。
1960年代の日本でこれほど多くの顔を持つ男はいないだろう。
彼がEDWARD'Sに関わったのは、20歳のころから。ヨーロッパを自在に渡り歩き、パリやロンドンの最前線から生きた情報を持ち帰った。それはデータではなく「空気」そのもの。
本場の生地・シルエット・色気—彼が持ち込んだものが、このブランドのスタイルそのものになっていった。
大衆路線を避け、志向性の強いブランドであることを選んだ。
その象徴として白羽の矢を立てたのは、必然だったと言える。
日本人離れした風貌と「福澤」の血筋、レース界とファッション界を同時に疾走する姿は、「構造に色気を宿す」という哲学の体現者だった。
1969年、25歳で急逝。
しかし彼が刻んだ美学は、今もここに生き続けている。
美意識を形作る3つの柱
哲学はディテールに宿る

美意識に根ざす「構造」
立体的なパターン、快適な可動域、身体に沿うバランス。美しく見えるのは、偶然ではなく設計の必然である。

軽やかさと「節度」
派手さではなく、抑制された品格。袖口、襟元、肩の傾斜。細部にこそ、確かな色気が宿る。

着る人の「余白」
体を主張させず、着る人の所作や空気までも映し出す設計。無理をしない。でも確実に、その人らしさが滲み出る。


哲学 #1
創造する企業 EDWARD’S
製品をつくるには、むずかしい方程式も、複雑な電子計算機もいらない。だからと言って、その製品づくりは、決してイージーなものではないのだ。そこには、人間の夢と楽しさがなければならない。いい意味の遊びもほしい。これらは、どんなに計算しても手に入らないものである。
EDWARD’Sはクリエイト(創造)企業であることを、しっかり意識して、全社員が、その夢、楽しさを、常に追求すること、そこにEDWARD’S製品を創る源がある。
考え方によっては方程式などないこの探求の方が、遥かにむずかしいことかも知れないが。

哲学 #2
生地と夢で衣服をつくる
流行という言葉が、とかく軽々しく見られがちなのは残念なことである。言葉の表面的な意味はさておき、衣服と流行とは、切っても切れない関係にある。もし、洋服が機能一点ばりのものであったら、われわれはみな、野球選手のような恰好をしなければならないだろう。流行は、衣服を着ることに、楽しさという価値を付与する。EDWARD’Sは、いい意味での流行を創造し、それによって社会に参加し、人々に夢を与え、社会をたのしく動かす企業である。

哲学 #3
齢をとらない企業である
EDWARD’Sは齢をとらない会社でありたい。その芯に、いつも若さを持ち続けたい。そのために、われわれは心の老化をふせぐ。つねに新しい喜びと驚きに反応する柔軟な精神を培う。若さを持続させる情熱を見失ってはならない。一人一人の、そうした努力が、会社の齢をとらせない。

哲学 #4
EDWARD’Sは家でもある
EDWARD’Sは社長もいるし、取締役もいる。組織はEDWARD’Sにとって大切なものであり、すべての社員は、これを守らなければならない。しかし、その内容は、むしろ”EDWARD’S家”というにふさわしい。われわれ一人一人がお互いを信頼し、はげまし合い、家族のような団結力、チームワークをもってEDWARD’Sを組織している。この結集した力が、EDWARD’Sを大きく推進する。

哲学 #5
社員は一人一人がサンプルである
自分の仕事に自信と誇りを持っていれば、会社を愛する心と、自社製品を愛用する精神がおのずから生まれるものである。EDWARD’Sは、コスチュームを創る会社であり、しかもわれわれは若い。みずからの手で創り上げたエドワーズ製品を着用しよう。われわれが人の目にふれるときその人間と同時に、着ているものも評価されているということを忘れてはならない。一人一人が、自社の動くサンプルとしての自覚をもって、つねに装いに神経を配っていたい。
私たちの軌跡
製品の系譜

EDWARD'S Dagger(ダガー)
90年代、タフネスと曲線の融合を試みた実験的ライン。ミリタリーパターンと都会的輪郭が共存する設計。

LUI(ルイ)
イタリア軽量仕立てと日本式パターンの融合ライン。EDWARD’Sが色気を確立する前夜、静かに存在していた。

Lady Edward's(レディ エドワーズ)
紳士服(マニッシュ)の感覚、経験を駆使したレディス・トータル・ファッション。ユニセックス時代を作り出した婦人モード。

Edward's SPORTS(スポーツ カジュアル)
クラシックの知性と、スポーツの躍動。EDWARD’Sの哲学をルーツに、動きと美意識を両立したカジュアルライン。ただ「動ける」だけではなく、「魅せる」ことにこだわった設計思想。

EDWARD. VII(セブン)
ユニークな子供服。小さいながら自己主張する現代っ子の子供服がコンセプト。

BEAU GESTE(ボージェスト)
ファッション・コーディネーター福沢幸雄がプロデュースのアバント・メンズ・ファッション。ヤングマン向けのスーツやセーター、シャツなどを展開した。
選ばれ続ける理由がある
「どのようなシーンもこの一着を選べば間違いありません。」

村田諒太 選手(元WBA世界ミドル級王者)








